空手道人生

【指導者】良い結果は本人の成果、悪い結果は指導者の責任という考え方

先日、県が主催する昇段審査会がありました。

私は道場の指導する立場でもあり、県主催の昇段審査の審査員でもあります。

審査で合格した道場生は「ありがとうございました」と挨拶にきます。
そのときには、「合格したのは君の努力の成果だよ」と伝えています。

逆に真剣に稽古に取り組み、不合格だった人の後姿には、なかなかこちらからは声をかけられません。
指導をする立場でありながら、本人を合格できるレベルにさせられなかったことに深く反省をします。

 

「良い結果は本人の成果、悪い結果は指導者の責任」

 

私が仰ぐ「師範」から言われた言葉であり、自分への忘れてはならない考え方、戒めとしています。

今この記事を見ている人は、指導者や指導に携わっている方だったり、なにかしら指導に対して考えることがあるんじゃないでしょうか。

この記事を何かの参考にしていただいたり、皆さんの考えと比べていただければ幸いです。

 

良い結果は本人の成果

合格できるように努力をしたのは、受験をした本人ということ

暑くても寒くても、疲れても道場に通って稽古をする。

本人が空手という時間を費やし、努力をしたからこそ、その結果が出たということ。

指導者がこうやれと言っても、本人が行動をしなければ身に付きませんし、技術を身につけることもできません。
指導者は本人が努力できるように刺激を与えたり、技術という情報を与えただけ。

良い結果を出したのは指導者ではなく、本人の成果なのです。

 

悪い結果は指導者の責任

知識の間違い

いうまでもありませんが、統一された形(かた)や技術ができていないということは指導者の責任です。

空手の形は統一という意味で、使い方や技も変わっています。

公式の場では、決められた形や技が出来ているかも一つの評価基準です。
もちろん、いかに本人の身体のつかい方が練れているかも評価をする部分でもありますが。

審査をしているときに、昔の形を演武している受験生を見かけます。
本人は一生懸命にやっているのに、技が間違っていたり、古かったりする。
審査の時に昔の形や技をやってる人がいるということは、昔得た知識だけでや、間違った知識で指導している人がいるということ。

指導者が常に学び、正しい知識を伝えられるように努力をする。

上手い下手ではなく、知識の間違いは指導者の責任です。

よりよい方法

武道もスポーツも、技術や理論はいい意味で常に発展しています。

トレーニング方法も常に発展しています。
昔の常識も、今は非常識になってることもたくさんあります。
「昔はこうだった」では通じない部分はたくさんありますし、指導者が昔やっていたことを今の世代にあてはめてもそれは時代遅れというもの。

かといって、ただ新しい方法に依存することではないと思います。

大切なことは、必要なことは何なのかということ。
必要なことを達成するために、より良い手法を選定する。

その手法が新しいトレーニング方法なのか、昔からある稽古方法なのか。

限られた時間のなかでより良い方法で稽古をし、成果を出すということ。

空手という技術を伝えるために、よりよい稽古方法やトレーニング方法を考えるのも指導者の責任なのです。

努力をさせられない

他武道にもあるように、空手には段級制度というものがあります。
段級制度というものは道場生の技術水準を明確化するとともに、本人に明確な目標を与えてくれるものです。

指導者はその目標に対して、達成できるように導くこと。

そのために指導者が努力することは、本人が『努力をすればできるレベルの課題』を設定すること。

課題は難しすぎれば諦めてしまいますし、簡単すぎれば飽きてしまいます。

努力をすればできるというレベルの課題を設定し、小さくても課題を達成するという経験を積ませること

目標に向かい努力をすることで乗り越える力を醸成し、課題を達成するということの経験の繰り返しが『努力をすればできる』という本人の実感になります。

『努力=できるようになる』

という実感が積み重なれば、努力は成長のために必要なものになり、苦しい稽古も苦しいものではなくなるのではないでしょうか。

本人が努力しなかったではなく、努力させられないことも指導者の責任なのです。

 

あとがき

合格不合格ということは、一つの結果です。

審査に合格するという一つの目標のために、道場性が『いかに努力することができたか』『成長をすることができたか』ということに指導者がどこまで努力をすることができたかということ

  • 知識の間違い
  • よりよい方法で指導する
  • 努力させられない

すべて指導者の責任です。

試合には相手があり勝ち負けという相対評価ですが、審査というものは一定の基準を満たしているかという絶対評価なのです。

良い結果に導くことも、悪い結果になったのも指導者の責任。

今に満足することなく、指導者自らが稽古し学ぶこと。

努力をして成果を掴み取った『道場生の笑顔』が私の指導者としての満足です。

 

指導者も学ぶことがいっぱいある。

 

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